心と体のバランスを取り戻すボディートーク療法 なごみ空間

施術士の紹介

店長

■氏名:杉本靖子

■生年月日:1974年生れ    射手座

■血液型:A型

■カレーライス&チキンが大好物!

■ここ数年、家庭菜園にハマっています。

ゴーヤ、スナップエンドウ、きゅうり、ミニトマト、バジル、オクラ、イチゴなど

■多肉植物、山登り、編み物などなど多趣味です。

 

■最終学歴:岐阜医療技術短期大学 衛生技術学科卒業

■職歴:臨床検査技師(国家資格)として人間ドック、学校検診、企業検診、住民健診などに 従事。
  また、中国の貴州省貴陽へ寄生虫検査法の技術指導の一員として参加。

2011年11月 ボディートークアクセス 修了
2012年 3月 基礎モジュール 修了
2012年12月 米国IBAボディートーク認定施術士試験 取得
2013年 1月 生体力学 修了
2013年 9月 意識の原理 修了
2013年10月 マインドスケープ 修了
2014年 3月 ボディートーカーのためのマインドスケープ 修了
2014年 5月  心身の大宇宙 修了
2014年10月 マトリックス力学 修了
2015年 4月 上級統合 修了
2015年 9月 上級マインドスケープ 修了
2016年3月 エナジェティクス 修了
2017年2月 ボディーエコロジー 修了
2017年12月 パラマユニット1 修了
2018年3月 テンプレートコース1A 修了
2018年9月 テンプレートコース1B 修了
2019年2月 進化エピジェネティクス 修了
2019年4月 認定上級施術士試験 取得

■□■子供時代■□■

幼稚園、小学校の中学年頃までは極端に人見知りで引っ込み思案、かなり内向的でした。自分でもよく覚えています。
幼稚園に行くのがかなりのストレスで親や先生にウソをついてなんとか休もうとしていたのを覚えています。休憩時間に遊ぶこともなく、トイレから帰ってくると次のクラスが始まるまで席でじっとしていました。

たま行ったことのない場所には友人と一緒でも行けず、道を一本隔てただけの場所がとても遠く感じていました。

そんな私を救ってくれたのが近所のおばちゃん!

町内会でジャンボプールに行く催し物があり、「やっちゃん、そんなんじゃダメ!一緒にいらっしゃいっ!」と無理やり連れて行かれ、 初めて知らない所で遊ぶことを楽しいと思えました。

この出来事が少しずつ変わっていくきっかけになりました。

 

■□■中学生~大学時代■□■

中学時代は毎日部活に明け暮れていました。弱いソフトボール部でしたが充実していました。守備はもちろんキャッチャー(^.^)

中学校を卒業し、まもなく最愛の母が病気で他界しました。先天性の心疾患で幼い頃からずっと闘病を見てきました。高校受験を失敗して、毎日泣いてばかりいた私を最後まで励ましてくれました。 「どこの学校に行こうとも、自分のやる気次第で勉強は出来る」と教えてくれました。

高校は商業科でしたが医療関係の道に進むことをあきらめてはいませんでした。
進路指導の先生に「商業科から医療関係の大学へ進学するのは無理だからやめておきなさい」という忠告は私の耳には届かず、母の言葉を胸に諦めなかった結果、医療関係の短大へ進むことが出来ました。

 

■□■代替療法の世界へ■□■

短大を卒業し、無事に国家試験にも合格。臨床検査技師として人間ドックの仕事につきました。

毎日の忙しいなか、趣味のつもりで整体の勉強を始めました。

そして勤続5年が過ぎる頃、何か満たされない思いを感じ始めました。決して検査技師の仕事が嫌いになったのではありません。

はっきりとした原因は分りませんでしたが、自分の思いに従ってみることにしました。整体の師匠からの誘いもあり、意を決して整体の道へ入りました。気が付けばもうこの業界に10年以上になります。

整体師として施術をしていく中で大きな壁にぶつかりました。

整体で良くなる方と良くならない方がみえるのです。自分の知識と技術不足だと考え、セミナーや勉強会にたくさん出席しました。それでも良くならない方がみえます。

そんな折に整体師の友人に誘われてボディートークアクセスセミナーに行くことになりました。
正直な感想、「なにやら頭と胸を手でトントンするだけのよく分らないもの」という印象でした。
その後、半信半疑のままセミナーを受けていく内に考え方が変わっていきました。

「とんでもないものに出会ってしまった!」と。

 

■□■初めてのセッション■□■

私自身がボディートークを初めて受けた時の事をお話しようと思います。

私はボディートークの勉強を始めていたにもかかわらず、フルセッションを一度も受けたことがありませんでしたが、私自身のからだでボディートークの良さを実感する機会に恵まれました。

確かその夏、急に喘息を発症し治療(西洋医学的)を始めたころでした。シムビコートという吸入ステロイドを毎日使用することになりました。
そんな折、「ボディートークを勉強してるのにセッションを受けたことが無いって・・・」と思い、セミナーの時にセッションをお願いしました。

一番印象に残っているのはセッション中、ただただ号泣し続けたこと。涙を抑えることが出来ませんでした。

セッションの内容は・・・

喘息の引き金を引いたのは殺虫剤でした(自分でも思い当たることがありました)。でも、そのもっと奥には手放せない「悲しみ」が隠れていました。

それは15歳の時の母の死でした。私の中では時間の経過と共に「受け入れる事が出来た」と思っていましたが、本当はそうではなかったようです。

喘息はその悲しみを手放すための体の反応だったようです(咳をすることによって肺に溜まっている「悲しみ」を吐き出す)。 ※中医学の五行の概念で「悲嘆」の感情は肺との関連があるとされています。

このセッションの経験から私はボディートークへどんどんのめり込んでいきます。

 

■□■その後の経過■□■

吸入ステロイドが効果を示したのはわずか1ヵ月ほどでした。 その後は常に喉の違和感や詰まった感じがありました。それを診察で訴えると薬はどんどん増えていき一番多い時では、 1日に4種類も使っていました。内視鏡で直接喉の状態を診る検査もしました。結果は異状なしです。 ドクターも頭を抱えていました。そしてついに大学病院へ転院となりました。
それと並行してボディートークも定期的に受けていました。ボディートークを続けていく内に私が抱えているものが少しづつ見えてきました。

そして、ある時ドクターに「薬を1つにして欲しい」と伝えました。

これも大きな心の変化です。 息苦しさを感じてくると「死んでしまうのではないか」と恐怖でした。そんな恐怖を軽減させてくれるのが薬でした。出かける際に薬を持って出るのを忘れると、「発作が起きたらどうしよう!」と不安と恐れで頭がいっぱいになりました。 そんなお守りのようになっていた薬を自分から手放すなんて考えもしませんでした。

今(2015年9月)では弱~い薬を1種類だけ使っています。それでも気管支の調子はとても良好です。 それに息苦しさを感じても恐怖が湧いてくる事が無くなりました。これは心と体からのメッセージだととらえることが 出来るようになったからです。

蓄積された感情を手放したり、意識が変化するだけで日常が今までとは全く別のものになりました。